実は哲学の勉強をしなきゃなと思い、他の本と並行して読んでいたのですが、タッチの差で『イモータル』を先に読み終わってしまいました。
多分、こっちを先に読んでおいた方がよかったんだろうなぁと思いますが、過ぎたことなのでしょうがないですね。
本書は現代に生きる我々が抱く悩みに対し、古の哲学者たちの考えを持ち出して回答していくスタイルをとっています。
全ての題問を挙げていくのも芸がないので、私なりに重要と感じた2点をピックアップしたいと思います。
今を生きよ!
現代人が抱きがちなマイナス感情として、将来への不安、他人に対する劣等感や毎日の生活に対する充実感の欠如などが挙げられます。
これらの感情と付き合っていく方法として、哲学者たちは「今を生きよ」と説きます。
アリストテレスは今この瞬間にやりたい/やるべきことに熱中するエネルゲイア的な行為に徹することで自然と結果がついてくると説いていますし、マックス・ウェーバーもプロテスタント的な禁欲的な姿勢によって、「結果論的に」成功すると説いています。
ブッダの思想もこれに通じます。原因によって生じたものごとはいつか消えて無くなるのだから、困難があってもまずは「今ここ」に集中せよと教えます。
また、チクセントミハイはベストを尽くすことで没我状態になるフローとなれば、劣等感を感じる暇はないと説きます。
※チクセントミハイの議論で触れられていた丸山真男の「である」を重視する社会vs「する」を重視する社会(ステータスvsパフォーマンス、フローは後者を重視)という構図は「タテ」社会と「ヨコ」社会の議論と重なります。詳しくは前記事を参照ください。
また、道元の些末なことにこそ「悟り」を得る機会があるので、打算的に考えず、愚直に目の前のことに徹せよと説きます。
簡単に言えば、「今に徹すれば報われる」ということです。
意外と諦めちゃう?
とは言え、案外諦めに転じるのも哲学。
スピノザは真に「自由な意思」などないとして、決められた運命を変えられないので受け入れよと言います。ウィトゲンシュタインも同様のことを論じています。
親鸞も、自身の無力を悟り、煩悩に身を委ねることの摂理を説きます。
『イモータル』で登場したショーペンハウアーは、孤独をどうにかしたいという悩みに対して、他人とは完全に融和できないのだから、他人のいたってロクな事にはならない。孤独なのは自分の内面的な空虚さ・貧弱さが招くもの、自身の内面を耕せと主張します。
当然その境地に達するまでに深い思慮があったのだと思いますが、「うん、凄く開き直ってるな」という印象を受けます。まぁこの辺は原典を当たってみるべきですね。
アドラーの「課題の分離」の概念も懐かしいなぁと思いました。自分/他人の課題に切り分けて、お互いの領分は不可侵にする…昔読んだ気がしますが忘れていました。
ヘーゲルの弁証法など主要な思想の解説もあります。
とまぁ各人の思想をかじるのは手軽な本だと思いました。さわりを知りたい人には、本文を追えば目的を達成できますし、もう少し深く知りたい人は、註釈が読み応えあるのでそちらを熟読する…2種類の読み方ができるので読者の間口は広いかなぁと思いました。
ただ、正直よく分からなかった論者もいたのは事実。そういう哲学者については各人が深掘りして勉強することが問われます。
冒頭の話に戻りますが、本書の中には『イモータル』の中で意図されていた思想も含まれているように思います。
ここではもう触れませんが、自分に中で振り返ってみたいと思います。
こうしたつながる読書が乱読の醍醐味ですね。