Tommyの乱読のススメ

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万引き家族/是枝裕和

 

万引き家族【映画小説化作品】

万引き家族【映画小説化作品】

 

こんばんは。

どうも昨日のドライブに疲れが抜けず、猛暑にもやられてヘロヘロ(2日連続)です。

明日は若干涼しいようで…ほっとしました。

 

さて、本日はこちら。

既に話題になってから数ヶ月、もう語られ尽くしているとは思いますが、

ようやく私も読了できたので、触れていきます(映画は観られていません)。

ややネタバレ注意です。

 

 

あらすじ

第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にてパルムドール賞を受賞した最新作『万引き家族』を
是枝裕和監督自ら小説化。是枝監督が小説で描き出す、「家族の絆」とは―――。

 

「彼らが盗んだものは、絆でした」

 

とある住宅街。柴田治と息子の祥太は、スーパーや駄菓子店で日々万引きをして生計をたてていた。

ある日、治はじゅりという少女が家から閉め出されているのを見かねて連れて帰ってくる。

驚く妻の信代だったが、少女の家庭事情を案じ、 一緒に「家族」として暮らすことに。

年金で細々と生きる祖母の初枝、JK見学店で働く信代の妹・亜紀。6人家族として幸せに暮らしていた。

しかし、ある出来事を境に、彼らの抱える 「秘密」が明らかになっていく―――。

 「家族」という閉じられた世界

祥太は生活のために万引きをするのですが、彼の中では、それは悪いことという自覚は漠然とあっても、罪悪感はありませんでした。それは、店のものは「誰のものでもない」から盗んでいいという認識からそれは読み取れます。どちらかと言えば、「仕事」という腹づもりで犯行に及んでいます。

ただ、物語の中盤で、万引きがバレて諭されるときに、はじめて他人との繋がりが生まれ、罪悪感が芽生えます。以降、祥太は父がわりである治との関係もギクシャクしていくのですが、これは社会と繋がれることで「自分はこれまでどおりにあるべきなのか」という「社会の中の自我」が生まれたからです。
祥太は学校にも通わず、知識は治が子ども時代に使っていた教科書で身につけていました。ただ、社会性というものは人との繋がりの中で身につけていくもの。それが「家族」の枠の外から出ることができず、社会の中で学ぶべき通念は「家族」から、しかも歪んだ形でしか学ぶことができなかったのです。

 

「家族」は何で繋がれるのか?

(私は全ての作品をみたわけではないですが)是枝監督は数々の作品で「家族」のあり方を描いてきました。

今回は「血縁」というテーマが中核にありそうです。

この家族は、皆血縁関係にありません。社会から、血縁家族からはぐれたものを吸収して成立した「家族」なのです。

ただ、それだけに「家族」への帰属感・一体感は強固です。信代のセリフである、

自分で選んだほうが、キズナは強いのだ。

からもこの「家族」の行動原理が読み取れます。

興味深いのは、最後に唯一血縁家族のもとに戻ったりんですが、ネグレクトにあい、教育も受けられない(数を10までしか数えられない)環境に舞い戻ることになります。

血縁で繋がれている家族のもとに戻ったりんが一番悲惨な環境に置かれているのは皮肉と言えるかもしれません。

是枝作品で言えば『そして父になる』、その他の作品で言えば『重力ピエロ』や『八日目の蝉』といった作品が血縁に触れています。

ただ、本作はそれら以上に「家族」とは何をもって繋がるのか?という直接的な問いを投げかけているように思います。

 

色んな解釈が出来る『スイミー』

個人的に面白かったのは、祥太が作中で読む『スイミー』。

これは何を暗示しているのか?これは色々と解釈が出来ると思います。

この物語はおそらく皆さん読まれていると思いますので、ここでは当方の解釈だけを紹介。

スイミーを祥太と捉える見方
祥太が社会(大きなさかな)をまなざす賢い目となろうと決意したことを暗示。

スイミーをりんと捉える見方
りんが「家族」に無償の愛をもたらしたという見方。さながらりんはイエス・キリストでしょうか。

感想

もうほとんど上で述べてしまいましたが、少しだけ。

映画を観ていないので比較はできませんが、単体としても面白かったです。

各登場人物の動きが短い話の中で凝縮して描かれており、読み応えとしても十二分

物語の解釈を押し付けることなく、何を感じるかについて読者に委ねているので、色々な意見があるかと思います。

絆をテーマに感じる人もいれば、貧困をテーマに感じる人もいる。また、社会の無関心というテーマを奥底に感じる人もいるかもしれませんね。

そう言えば最近映画観ていないなぁ…。

なんかキリが悪いですが今日はここまでで。