こんばんは〜。
ブログの方向性が迷走し始めた今日この頃ですが、
なぜか訪問者数が倍増しました。
何はともあれ、ありがとうございます。
継続的な更新を目指して頑張ります。
さて、本日のコラムは『ヤンキー文化』第二回の『常用語当て字』です。
日常使う言葉を当て字で表現して、友達と差をつけよう!
使用されている漢字の芸術性については、
檸檬(レモン)と鞦韆(ブランコ)を書ける漢字マイスターの私がレビューして行きます。
これも紙面の都合上、ほんの一部を紹介。
まずはこちら
『ぶっちぎり』です。これは芸術点が高いです。
夏目漱石の『吾輩は猫である』に以下の一節があります。
「金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないというのさ--義理をかく、人情をかく、恥をかく、これで三角になるそうだ」
この真理を突いています。
仏教は人情の機微を掴むものと見なせば、仏(人情)・恥・義理の全ての三角術を満たす事が出来ることから、
この言葉を作った人間は、明治文学に精通した仏教徒と思われます。
昨日のICBMといい、当て字メイカーの教養レベルの高さには感嘆せざるをえません。
次は
『愛してる』です。
同意語に『愛羅武勇(アイラブユー)』がありますが、こちらの方が芸術点が高いです。
ここで一句。
愛に死し
天にのぼれと
流らるる
飛魅亥(Tommy)
(意味)
報われない愛に殉死した漢、天に昇り流れ星となった。一瞬でも想い人を照らす光となることを熱望して…。
…設定だけでケータイ小説書けそうですね。
詩的にもプレバトでいい線行くんじゃないでしょうか?
最後はこちら
『マクドナルド』です。
ただ、『怒』の漢字を二回使っているところ(再帰性)に芸術性を感じません。
また、『奈』の文字も文脈に沿っていない大人しすぎる文字だと思います。
私なら、
魔苦奴鳴怒
どうでしょう?
文字数を少なくすることで洗練されたフォルムにし、
『魔に苦しみを味合わされた奴隷の怒号が鳴り響く』
…というストーリー性も帯びています。
次回は『当て字を作ってみよう(仮)』で参ります。
さて、もはやオマケと化している読書レビューですが、本日はこの本。
ミステリーと評されていますが、ここではSFモノという位置付けでレビューします。
では続きを読むを…
まとめると…
- ミステリーと銘打たれていますが、実際は不条理系SF小説
- 現実と自我の不確かさを哲学的に描く
- 個性的な登場人物たち、そして、ヒロイン(?)うみみずが可愛い
あらすじ
動物レプリカ工場に勤める往本がシロクマを目撃したのは、夜中の十二時すぎだった。絶滅したはずの本物か、産業スパイか。「シロクマを殺せ」と工場長に命じられた往本は、混沌と不条理の世界に迷い込む。卓越したユーモアと圧倒的筆力で描き出すデヴィッド・リンチ的世界観。選考会を騒然とさせた新潮ミステリー大賞受賞作。「わかりませんよ。何があってもおかしくはない世の中ですから」。
回答が与えられない謎たち
本作はミステリーと位置付けられていますが、私はこれに対抗します。
なぜならば、謎に答えが与えられていないからです。
ミステリーの醍醐味は、謎解きおよび伏線の回収にあると思うのですが、本作はそれを放棄しています。
むしろ、謎が解き明かされないことで、カタルシスを感じられない読後感を楽しむ作品だと思います。
安部公房とかそういう系統です。
私はミステリーだけでなく、その手の小説も好きなので楽しめましたが、ミステリーフリークの多くの方を容赦無く振り落とす作品かと思います。
何が真正(Authentic)なのか
あらすじのとおりの書き出しでストーリーが進んでいくのですが、何かがおかしい。
まず、我々の認識している現実とはずれていることです。
例えば、愛玩動物はその存在意義が疑問視され、絶滅させられています。そう、犬や猫がいない世界なのです。また、インターネットの自由もない。
かなり中央統制的なディストピアな世界であることが徐々に判明してきます。
と思ったら、絶滅したはずのシロクマがかき氷食べてたり…。人工生命体が出てきたり…。
私は、SFは現実の延長にあってこそ、その面白さがあると思うのですが、
本作は、突拍子もなくオーバーテクノロジーや非現実的なことが起きるため、『不条理系』の要素もふくむと思います。
結末に触れると、周りが皆偽物なのではないか?という疑問に襲われることになりますが、ストーリー中、自分が認識する世界の危うさについては何度も言及されます。
「…会う人会う人みんなが、自分からすすんで型にはまった仮面で会いにくるんだ。あらかじめ典型的な人物像を演じているのだね。…そもそも自我なんて存在するのかな。…」
どうして人間には自我があって、動物にはないといえるのか。…これはひとつの傲慢だ。
…自我が人間に固有のものだなどというのは、けっきょくのところ、かってな幻想にすぎない。
自我というのは、ただたんに見る側が存在するものと仮定しているだけ。…審議すべてはすべてそのひと個人の決めつけだ。
…自分が見ている現実なんて、本当に現実そのものをとらえているのか、まるであてにならない。人間の知覚なんてそんな程度なのか。世界を正しくとらえることなんて、ほとんど不可能なんじゃないのかー。
実際、主人公の往本の記憶が飛んだり、空想か現実かの判断がつかない場面に多々遭遇したり、立脚する自我の上に成り立つ世界はかなり危うさがあります。
実体感のない世界に生きつつある現代人に何か訴えかけてくるものがある気がします。
感想(うみみずが可愛い)
感想はレビュー中におおむね語っていますので、一点だけ。
本書に登場するうみみず女史はキュートな見た目だとのこと。挿絵がないので想像するしかないですが。
性格はズケズケ系で、飼っていた犬を前述の事情で殺されたことから、反体制的な思想を持っています。
また、仕事の合間に哲学書などを読みふけっているために、学術レベルも高いみたいです。
…いいですね!
哲学勉強中の私にいろいろ教えてほしい!
そして「そんなことも知らないの?」と弄ってほしい。
(私に変な性癖はありません)
ともかく、分類不能な不条理小説ですので読む人を選びますが、すいすい読めます。
秋の夜長、一緒にうみみずに詰られましょう。
…終わりです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
ではまた明日~。