Tommyの乱読のススメ

ノンジャンル読書と雑記の混沌としたブログです。

数学する身体/森田真生

 

数学する身体 (新潮文庫)

数学する身体 (新潮文庫)

 

今回はこの本。

ど文系な自分ですが、知見を広げるために手に取りました。

はっきり言ってよく分からない部分も多かったのですが、印象に残ったところを噛み砕いて。

数学の歴史

数学は16世紀まで自然言語に拘束されていた。

いまでは「=」や「:」で簡単に表されるルールも、この発明の前までは、いちいち「〜に等しく」だったり、「〜の比は」と言ったように言語で表されていました。

これが記号の発明により、数式と計算による表現に変わりました。これにより、数学の形は実感と直感の世界から乖離していくことになりました。

数式では現実的にありえないえことも表現できるようになり、無限世界に肉薄する表現を身につけることになりました。

まっさきに虚数が思いつきました。

量子物理学の世界では用いられる(と聞いています)らしいのですが、多くの人にとっては、なかなか現実世界での活用が見出せない概念ではないかと思います。

まさに虚数の発見は、実数の世界の外に肉薄した瞬間なのではないかと思いました。

 

数学に対する取組み方

こうした傾向が突き詰められるにつれ、数学は抽象化され、もはや現実の世界に縛られることなく、抽象の世界に存在してしまったと思われがちである。
ただし、元来、数学も人間の営みによって生み出されてきたものであり、人間とは切っても切り離せない関係にあります。

本書では、数学というものが、人間性と不可分であることを再発見していこうとしています。

これを読みほどくにおいては、アラン・チューリング、岡潔という二人の数学者にフォーカスを当てています。

チューリングは人間の心を作ろうすることで心を理解しようとし、岡潔は心になりきることで心を分かろうとしました。
二人の間の共通点は、数学を通して「心」の解明へと向かったことです。

 

この数学の現実からの遊離について岡の言葉が非常に分かりやすかったので引用します。

現代社会では自我を全面に押し出して理解という言葉を教える。自他通いあう情を分断し、私(ego)を閉じたmindがさもすべてであるように信じている。情の融通が断ち切られ、わかるはずもないことがわからなくなった。

そうした全ての根本にあるのが、「自我」と「物質」を中心に考える現代の人間観・宇宙観である。

結構深い言葉だと思います。色々と解釈ができそうなので、それは読者の皆さんの感性にゆだねます。

岡は、この感覚を作りかえることが急務と述べています。

 

感想

文芸書やビジネス書ばかりを読んでいる私にとって、非常に敷居の高い本でしたが、それhテーマが数学だからであり、本書の根幹のテーマは哲学であり、人生観だったので、所によっては自分に引きつけて読むことができ、お手上げ状態、、、ということにはなりませんでした。

 

作者の主張は、以下に集約されるかと思います。

だからこそ、心を知るためにはまず心に「なる」こと、数学を知るためにはまず数学「する」こと。そこから始めるしかないのである。

理屈はわかるのですが、実際、この言葉自体が抽象的で分かりにくい。タイトルにある「身体化された状態で数学をすること」というのがどのような状態かなのかがイマイチ見えてきませんでした。

もう少し具体的にこの内容の実践に触れていればと思いました。