Tommyの乱読のススメ

ノンジャンル読書と雑記の混沌としたブログです。

イモータル/萩耿介

 

イモータル (中公文庫)

イモータル (中公文庫)

 

今日は前々から読もうと思っていたのですが、積本になっていた本を読みきってしまいました。

文庫化にあたって佐藤優の推薦コメントが載った帯が付いていたことで話題となった本作ですが、さてその内容は?

 

 

あらすじ

 インドで消息を絶った兄が残した「智慧の書」。不思議な力を放つその書に導かれ、隆は自らもインドへと旅立った…。ウパニシャッドからショーペンハウアー、そして現代へ。ムガル帝国の皇子や革命期フランスの学者が時空を超えて結実させた哲学の神髄に迫る、壮大な物語。『不滅の書』を改題。

 

ストーリー構成

哲学が前面に押し出されていますが、あまり深く考えず、3人の主人公による短編小説として読むこともできるかと思います。

(むしろその方がすんなり読み進められるように思います。村上春樹小説を読むにあたっての心構えと一緒でしょうか)

まず現代の隆。彼は不条理な仕事と家族との接し方に悩みを感じています。行方不明になった兄の足跡を追い、智慧の書を手にインドへ渡ります。

次に18世紀フランス革命時のデュペロン。未知のペルシャ語のウパニシャッド哲学書を入手し、その書をペルシャ語からラテン語へと翻訳したという輝かしい成果でした。

最後に17世紀インドのムガール帝国皇子のシコー。学究の気があった彼は、サンスクリット語で記されたウパニシャッド哲学の経典をムガール帝国内での言語であるペルシャ語へと翻訳しました。王位の後継者争いに巻き込まれるが…?

といった3人の行動の根底にあるのは「智慧の書」。これがこの物語の中ではシコー→デュペロン→隆と引き継がれていきます。そういうバトンが繋がれ、最後に受け取った隆がたどり着く境地は何か?ということを追うことにこの作品の醍醐味があります。

ただ、物語としてはどうか?

哲学的な知識のない私には、どうしても現代のストーリーが物足りなく感じます。これも何かの暗喩何ですかね?兄の話、イラン人の絨毯屋…この辺の話はどちらかと言えば必要なんでしょうが、あまり効果的な働きをしていないように感じました。

 

智慧の書とは?

本作の中では智慧の書の真理のようなものは明らかになりません。このストーリーの中で重要なのは、智慧の書を巡ったこの将来への継承だと思います。

さて、先ほどから出てくるウパニシャッド哲学ですが、倫理で見たような気がしたので『もういちど読む山川倫理』をひいてみました。

宇宙のあらゆるものの根元にはブラフマン(brahman梵)と呼ばれる絶対的な原理があり、全ての生あるものにはアートマン(atman我)と呼ばれる不変の自己をもっている。この二つは、それ自体で永遠に存在する実態と考えられる。(中略)みずからのううちにあるアートマンが、宇宙の原理ブラフマンから生まれ、ブラフマンと一体であることを悟ることによって、大きな宇宙に根元と一体になり(梵我一如)、輪廻の苦しみから離脱して永遠を得ることができると説いた。

ということだそうです。俗な例ですが、『鋼の錬金術師』の「一は全、全は一」ですね。

おそらく、これが本書の確信だと思います。

例えばデュペロンは自身の功績が若きショーペンハウアーに引き継がれますし、シコーも死の間際に自身の功績が継承されたことを確認できて満足して死を待ちます。この二者はよくよく考えれば、現世でははっきりと功績が報われていません。ただ、このウパニシャッド哲学と照らし合わせば、翻訳をなした自身(アートマン)が世界と一体化したことを悟ったが故に、ブラフマンの中に自分を見出したが故に、心に平穏を得ることができたのだと思います。現代を生きる隆も最後に仕事と家族に希望の展望を見出して再出発を果たしているように見えます。

特に、作中で「言葉は永遠」と叫ばれていますが、これもウパニシャッド哲学の特性と驚くほどに親和性があります。

 

他に印象に残った言葉

(物事が)『複雑に絡み合っている』 という言い方はやめた方がいい。その行き着く先はあきらめと思考停止だ。むしろ『複数の要素で成り立っている』と言うべきだ。そうすれば問題になっている要素を突き止め、ひとつひとつ解きほぐそうと気持ちが動く。(後略)」

※文頭(物事が)部分のみ自身で挿入しています。

複雑そうなことに出くわすと、複雑性に目が行き途方にくれがちですが、要素分解することで着手する目処が立つことも多いです。今、仕事をする上で持っておきたい心持ち。

 

「深い話なのでしょうが、なんかよく分からん」というのが素直な感想かもしれません。特に現代編は先に挙げた理由からイマイチ深みに入り込めてない気がしています。

この本の殺し文句をそのまま受けて「哲学の深淵に触れられる」と思って手を出すと肩透かしをくらいますので要注意です。

もっと理解したいという人には、更なる哲学知識を身につけることが求められると思います。その筆頭は私かと思います。頑張ります。